国を見捨てることと、支配体制を見捨てることは違う

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いよいよ日本も終わりだなと感じる」というのを見かけたのですが「生まれ育った国を見捨てないと言い切れないところか少しつらい」と締めくくっているものの、この言い方には違和感があります。この人は、日本という国と、エスタブリッシュメント(支配体制、既成の秩序・権威・体制。支配体制。また,権力や支配力をもつ階級・組織)を見捨てることをごっちゃにしているように見えます。その他の論の展開を見てもあんまり納得させられることがないのでほっといてもいいのですが、ちょうどいい機会なので好き放題書いてみます。

支配体制の側からは自分たちの権力構造を守り支えることが愛国であるとミスリードして洗脳することは理に適っていますが、これらは本質的に別物です。経団連とか自民党とかがなくなったとしても日本という国がなくなることとイコールではないからです。日本は経団連ができるよりずっと前からありました。

なので、現在日本で支配的な企業がクソ企業ばかりだったら、他の国にあるまともな会社で働けばいいのです。外国で働くことを国を見捨てるみたいにミスリードして罪悪感を持たせる輩が多いことは日本人全体にとって利敵行為と言えます。外国でしばらく働いて、戻ってきたら今の「大学生が就職したい企業ベスト20」みたいなのが全部倒産していてすっきりしているかも知れません。会社は入れ物に過ぎませんから、倒産して中の人が開放されてしばらくすれば何か別の仕事をします。大企業で何十万人も人を抱えて赤字しか生み出さない会社から開放されて、才能を活かして稼ぐようになればそれは日本の国益に適います。

しかし支配体制はそれを許さないでしょう。江戸時代のお家断絶のように会社が倒産することは最も避けるべき、たとえ従業員が死んでもお家だけは守るべきといった謎の道徳観念を植え付けて洗脳してきます。

日本を立て直すにはこの手の集団催眠から覚めることが一つの方法だと思います。そのためには元ブログ主が言うように「国を見捨てる」ことが国を助けることになるのです。