「瑞穂の國記念小學院」はなぜ「紀念」ではないのか

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ほんとどうでもいいいことなんだけど、森友学園問題が紛糾しています。「瑞穂の國記念小學院」は日本会議関係者がやってるとかで、漢字に旧字体を使っています。私は台湾で中国語を勉強したので旧字体には馴染みがあるのですが、「瑞穂の國記念小學院」の「記念」が「紀念」ではないのは違和感を感じます。

ざっくり調べただけなので正しいかどうかはわかりませんが、昭和20年代くらいまでは「紀念」が使われていたらしいです。昭和29年の「法令用語改善」、昭和31年の「同音の漢字による書きかえ」があったので「紀」という字は難しい(?)から「記」に統一しようというやつかも知れません。「函数」の「函」はあまり馴染みがないので、同じ音の「関」を使うようになったとかその類です。青函トンネルというように「函」は「かん」と読みます。

中国本土ではもっとひどくて「面」と「麺」を区別しませんが、それと同じです。本来違う字を音が同じだからと無理やり一つにしたのは漢字文化的には大きな損失だと思います。後戻りは難しいですからね。一旦ツラとヌードルが同じものになってしまうと、後から分離するのはかなり骨なのです。ある中国人が言うには「面にはヌードルという意味もあるんだ」って言っていましたが、ありません。漢字の本家本元である中国の人がそういう説明をするくらいですので、漢字の改革はかなり文化的に大事なものを毀損したと思います。単に漢字を同じにしてしまったので区別がつかなくなってしまっただけです。なお、現代中国でもエリートさんたちは旧字体(繁体字)を書くことができるみたいです。

(麵はヌードルというか小麦粉や小麦粉で作ったもの全般かも知れません、実はよくわかってない。パンのことを麵包と言います)

強調するために中国の事情に敷衍して書くと、中国人が昔の文化に思いを寄せて繁体字で文章を書いてみたものの、食べ物の「麺」を意味しているところで「面」って書いてしまったような格好悪さがあるのです。繁体字でも「ツラ」は「面」ですから文章は全部繁体字で書かれているのは確かですが、変な内容になっているわけです。

漢字字典によると「記」は書いて残すことで、「紀」は繋がりとか由来とかそういう類の意味だそうです。だとすると「ここに瑞穂の國がありましたよー」って紙とか石碑に書いて残したいなら「記」でいいかも知れませんが、おそらく言いたいのは先祖から連綿と受け継がれる伝統とかなんとかそういう類のことだと思うので「紀」が正しいのではないでしょうか。

日本会議というのはよく知りませんけど右翼系政治団体っぽいですから、古くからある旧字体を使いたい気持ちがあるのかも知れません。しかしその中で「記念」を使ってしまうのは、時代劇を撮影しているのに現代的な要素が混じってしまうような違和感を感じるのです。