なぜ勉強するのか

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最近はてな匿名ダイアリーで話題です。

さて、この前、娘に「なんで勉強するのか」と問われて、答えに窮してしまった。

院進しなかったから「学問そのものの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。

就活に失敗して自殺未遂までした身だから、「勉強すれば良いトコに就職してお金持ちになれる」と言うこともできない(余談だが、自殺未遂のときに救急車を呼んでくれた人がいまの妻)。

かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。「健康に効果があるって言ってるけど嘘だよ」「健康に効果があるって具体的にどういうことを言ってるかちゃんと調べたことある?それに、嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」と言われてしまった。「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」「いまちゃんと調べて反論しようか」「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識や自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」

なんで勉強するのか

これを発端にして

こんなこと増田でしかかけないが、なんでこんなやつより俺の評価低いんだよ。いやこいつのことは全く知らないが、なんで学ぶことの意味も目的もフワフワしてるような奴が「東大卒」とかいうブランドで着飾ってられんだ?おかしいだろ。俺は学ぶ意味を、喜びを知り、就職してから学びまくった。学問は最高に面白れぇ。夜間大学に今も通ってる。トータルでみたら東大で勉強やめたこいつより俺のほうが評価されるべきじゃねえかな!?でも結局、こいつは東大卒、俺はFラン卒だ。夜間大学で修士をとっても、学歴で見られるのは「18歳時点での学歴」だ。俺なんか「学歴ロンダリング」扱いだぞ。なんなんだよ。

「学問は自分の世界を広げてくれる」ってのは真実だが、そのパワー、そのすごさ、その感動は全然人に伝わらねえんだよな。

勉強は知識にインデックスを付けて回る行為だ。そして学問とは、そのインデックスを掘り起こして整理し、組み合わせ、関連に気づくことだ。今まで解かれてきた数学の難問はほとんどこういう経過で説かれてる。人生も、仕事も同様だ。隠されたつながり、関連に気づくことがすなわち価値のあるアイディアだ。何も知らなけりゃ組み合わせねぇ。ラマヌジャンみたいな異次元の天才はまずいないからな。

こんなやつがなんで東大卒のブランド纏ってんだ。経歴抹消してくれよ

とか(「勉強は知識にインデックスを付けて回る行為だ。そして学問とは、そのインデックスを掘り起こして整理し、組み合わせ、関連に気づくこと」というのは面白い言い方ですね)。

なんで勉強するのか? 多くの子供たちの疑問であることと思います。 大人になったら勉強したこと役に立つの?はっきり言います 勉強なんて大人になって役に立ちません。 昔は勉強しとけば将来仕事に役にたつって思われてきましたが ネット上で高学歴ニートを見かけることができるようになったためちょっとずつイメージも変わりつつあると思います。 東大京大からのニートもネットには何人かいますから

自分の今や前の職場を見てみると 若いころぜんぜん勉強して来なかった人がいます。私は中学、高校勉強ばっかりです。どっちが仕事できるかって?

そう 勉強して来なかった方たちです。 周りの方がなぜ こいつ勉強できるのはずなのに仕事できないんだろうって疑問に思うことが多いのですが、理由は簡単 勉強で得た知識は仕事で必要ないから。

勉強は役に立たない

とか色々他の人もコメントしています。これを読んで思ったことを綴ります。

楽しいから勉強する説

最初に思ったのはこれです。何か知識を得たり技術を習得するのは面白いのです。

おそらく最初の質問の「勉強」というのは学校の勉強なのでしょう。で、その学校の勉強は世の中でたくさん学ばなければならないもののうちほんの一部です。学校で指導する内容についても文句はいっぱいあります。もう少し社会科をきちんと教えるべきでしょう。お金のこと、借金のこと、雇われる以外の選択肢(働くということは小学校くらいで習うけど、その職業例は自営業を除いてほとんど誰かに雇用されるというもの)など、大切なことなのに教えていないことはたくさんあります。なので学校の勉強に興味が持てないというのならそれもいいと思います。

しかし本質的に学ぶことが大嫌いという人は、よほどの廃人(ネトゲ用語の廃人ならむしろ興味のあることはものすごい積極性で身につけます)でもない限りは人間はみんな好きな様に思います。学校は大嫌いでも、例えばパチンコの勝ち方についてはすごく詳しいとか、友達といつも情報交換しているとか、これ全部学ぶことです。全方位で勉強なんて意味がないと思っている人はほぼいないと思います。精神が死んでしまっていない限りは。

例えばプログラミングでは、これを身につけると普通の人が何時間もかけてやっている仕事を一瞬でしかも正確に終わらせることが可能になったりします。さながら現代の魔術です。これを習得している人は当たり前にできることが、大半の人にはできない。エンジニアは魔法使いのようでもあるかも知れません。役に立つだけでなく楽しいと思って取り組んでいる人も多い。

知識は人間の牙である説

人間は猛獣の爪や牙のような武器を持ちません。その代わり知識が武器になり身を守ります。なぜ学ぶのかと言えば身を守るためです。

知識がないといいように騙され、ブラック企業に搾取されたりします。病気になったときに自分で診断ができません。風邪だと思っていたら重篤な病で病院に担ぎ込まれたときには手遅れだったとか。

水素水のようなエセ科学に騙されないという例は匿名ダイアリーにもありました。娘に「パパが勉強して得たものは、知識や自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」と論破されてしまいますが、これは屁理屈というかミスリードですね。権威に服従するのではなく権威のある人の言うことでも嘘っぽければ疑うことができるようになるために学んでいるわけです。

学校の教科書の内容はコロコロ変わります。昔、足利尊氏の絵と言われた絵は今では足利尊氏ではないただの武士であるとされていたり、学問上の定説なんてコロコロ変わります。「年号が違う、肖像画が違う、名称が違う……習った歴史が今と昔では違い過ぎて戸惑う大人続出!」とかそういうことをまとめている記事もあります。

自然科学でもそうでした。大昔は世界は四つの元素でできていて、火と風は上に、土と水は下にあるのが正しいから物は落下し煙は上に昇るとか言われていました。アリストテレス・プトレマイオス的な自然観です。その後ニュートンやケプラーが現れ、物理法則を打ち立てます。ニュートンは光は小さい粒の集まりだと言っていたそうです。ニュートンからしばらくの人はニュートンの言っていることを鵜呑みにしていました。光の回折現象とか否定する要素があってもニュートンを盲信していました。マクスウェルが電磁気学を確立して光は電磁波の一種であると言うと今度は電磁波だという定説になりました。でも夜空で瞬く星を見ればわかるように、光の量は離散的というか最低量があって、つまり1個、2個と数えられる節もありました。それから科学が進歩すると光は粒子性と波動性があるとか色々出てくるわけです。ここから学べるのは現在正しいと言われている学説も完全ではないということです。

ですから、学ぶということは教科書とか教師とか権威のある人の言うことを暗記することではないのです。水素水がなぜ似非なのかというのは、偉い学者があれはインチキだと言ったから信じるのでは、水素水が健康にいいと言い張っている人を信じるのと大差がありません。

自分で物事を考えられるようになるために勉強する説

ある程度知識がつくと、誰かの主張に対して批判的な目で見ることができるようになります。知識がないと根拠もなく信じるか疑うかのどちらかしかありませんが、知識があればこれは怪しいということに気づきやすくなります。

新聞の科学系の記事で「あー、この記者は大してわかってないのに書いてるな」というものをよく見ます。なんでその記者が理解しないで書いているかわかるかというと、自分はその分野について少しばかり知識があるからです。自分の知識が正確とは限りませんが、それでも自分よりあやふやな人の記事はわかるようになります。

ところで新聞記者といえば昔は知識人の代表格だったと思うけれど、最近の記者って色々ひどいような気がします。日本語もなんかおかしいし、記事の内容も素人がろくに調べずに書いたようなのが有名ななんとか新聞に堂々と載っている。

昔、ある人がインターネットの言論の自由についてこんなことを言っていました。言論の自由を認めようとなった時代にネットはなかった。個人のうわさ程度はたいして社会に対して影響力はなく捨て置いて問題はなかった。しかし新聞とかテレビとかラジオが嘘を流すと大いに悪影響があるので問題である。しかしながら新聞記者はもともと知的に訓練された人が新聞社に就職し、日々研鑽を積んだ上で、さらにキャリアの長い編集長なりが記事をチェックした上でこれは問題がないと判断して初めて記事になるのだから、影響力の大きさを勘案しても自由な言論を認めていい。しかしネットは違う。影響力は大きいのに無責任にデマが飛び交っている。だから規制が必要だと言ったような話でした。しかし、今の新聞ってそこまで信頼されるような情報源でもないですよね。仕事でやっているから取材くらいはするけど、記者の能力はどちらかというと低い人が新聞社に入るような気がします。

昔の人が実証したり失敗したことを再び繰り返さないために勉強する説

これは単純に昔の人が失敗したことを繰り返すと時間の無駄なので、勉強すると時間を節約できるということです。昔の人の努力の上に乗っているので、何百年も、何千年もかけて人類が会得したことを僅かな年月で身につけられるわけです。教育カリキュラムは知識の習得の高速道路のように編纂されているはずです。色々問題はあると思うけど、概ね正しいと思います。

失敗は危険です。あるきのこを食べて誰かが死んだら、それを知っている人は毒キノコを避けることができます。何をすると失敗したりひどい目に遭うか、何をするとうまくいくかを知っておくことは色々有利です。

というわけで、個人的には勉強することは有意義かつ楽しいと思っています。勉強が必要ない派も、否定している勉強は学校の勉強に限定しているからで、いつまでも仕事覚えない人がいたらつかえねーって愚痴をこぼすはずです。

でも、学校で習ったことは社会に出たら役に立たないからって言ってる人が多いことが日本の国際競争力を削いでいると思います。「就活」は断言はしていませんが、大学で学ぶことよりももっと単純なバイト経験とかの知識を重視する傾向にあるように思います。こういう人が、あいつは勉強頑張って有名大学に入り、大学時代も真面目に勉強したけど就活で失敗した、俺はてきとーにやったけどバイトに恋に色々経験して人間として大きくなったからいい会社に入れた的なことを言うことはあんまり日本にとって良くないんじゃないかな。