エリートというのはラッキーな人たち

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「グローバル・エリートの時代 」を出版します (6/19 講談社より)』というが、電子書籍でないと買いたくない。まあニューヨークなら紀伊國屋あたりで大抵は手に入るのだけど割高だし重い紙の本を持ち歩きたくない。さりとて読んだらすぐにゴミ箱へってのもエコではない。

ところが、今後は世界経済の主軸は新興国となる。2005年ころから「世界の工場」だった中国は、世界一の消費国としての道を歩み始めた。IMFの統計によれば、来年2013年には、新興国のGDP合計が、先進国のGDP合計を超えるという。更には、(統計にもよるが)2025年から30年のころには、先進国トップ7カ国のG7のGDP合計を、新興国トップ7カ国(BRIC+メキシコ、インドネシア、トルコ)のGDP合計が上回るとされている。

トルコってそんなに将来有望なのだろうか?不思議とトルコは日本に好意を持っていてくれるので、こういう国が世界の中で存在感を示すとしたらいいことだけど、あの人口8000万人くらいのイスラム国がどのくらい影響力を持つことか。ただ平均年齢はかなり若めで人口ボーナスを使いやすいとは言われる。美女が沢山いるよ。

トルコはたとえばカスピ海油田からのパイプラインをロシアを通したくないヨーロッパの国々の思惑とか、あるいはイスラムは信用できないとか、その辺で揺れている感じ。EUに入れるかどうかってところで隣のギリシャはユーロ圏から追い出されそうな勢いだから黄色信号か。

トルコ語をもっと真面目にやっておけばよかった。

最後にそういう人材を何故「グローバル・エリート」と名づけたかについて。「エリート」という言葉に嫌悪感を持つ人は多いらしく、このタイトルが決まった後も、「エリート」という言葉の部分に引っかかる方、「そういう面白い内容だったら何故エリートという言葉を使ったの?」といって下さる方、たくさんの人にあった。でも私としては、もともと「エリート」という言葉は、何らかラッキーなものを持つ人は、その力を他の人たちのために活かしていくことができる人たちである、というところから来た言葉であることにこだわった。

確かにエリートはラッキーな人だと思う。日本でも東大生の親の平均年収は高いとされる。海外留学などさらに大変。でも一番大事なのは金銭的なものよりも、幼い頃から視野の広い人が周囲にいたかどうかである。進学校に進ませる方がいいと最近になって思うけど、それは一人で勉強を頑張っても大学には入れるが、広い視野を養うには人の助けが必要だからだ。

特に海外留学で大事なのは周囲の人間の見識の広さだろうと思う。例えばある程度優秀な子がいたとして、その親が古くさい「受験勉強を頑張っていい大学に入ればいい会社には入れるの、そうしたら一生安泰なのよ。東大を目指しなさい」という親だったらグローバル化の芽は摘まれてしまう危惧がある。何のために能力を使うかが大事なのに、今にも沈没しそうな既得権益で生きている人たちの仲間入りをするために名門大学に進もうという発想しかない人に囲まれて18歳まで育ったとしたらかなり損をしていると思う。

留学はやはり若いうちが有利である。30にも40にもなって海外留学なんてのは、コンサルトか商社あたりから会社が派遣してくれるのでなければ結構キツい。奨学金制度や先進国の時給の高い仕事でお金は何とかなるにしても、時間的な余裕がなくなってくる。30歳から博士課程に行ったら順調に行って35歳にならないと次のステップに進めない。さりとて若いうちから自分だけで世界の広さを意識して国内に閉じこもらずに生きようと思うには周囲の人の意識がそうでないと厳しい。エリートは恵まれた人というが、一番エリートの恵まれているところは親を含めた人との縁である。

あとアメリカ型の入試の場合はGPA重視だから日本の大学で漫然とやっていると不利でもある。日本は有名大学に入ったことが大事なので必ずしも成績をキープしなくてもよい。むしろ《醜活》なんかで学業は軽視されている。学校の勉強なんか社会に出たら役に立たないとか言っている脳みそ筋肉野郎が大きな顔をしている社会である。また、学業そっちのけで説明会漬けにでもなっていたら、よいGPAは望めない。これで大卒後にアメリカに行こうと思っても不利だと思う。海外に行くなら早い段階で意識して努力しないと後になって挽回は難しい。

最後に香ばしい意見を1つ。

こういうの無駄じゃない? (スコア:1)

技術者養成機関である一般の国立大学(電通大とか)ならともかく、
将来理系エリート、特に技術官僚や技術経営において主導的な立場となることが
期待されている東京大学のにこういう、ソフトウェア技術的なところで
頑張らせちゃっても、その後の進路を考えた場合、あまり多くの付加価値を
生み出すことはできないんじゃないかなあ?
こういう技術的な勉強に学部の学生の時間を使わせるよりも、
文科系の研究会やインカレサークル、体育会系の部活などに参加させることを奨励して
コミュニケーション力やリーダシップなど人間的な魅力を磨くために時間を使わせたり、
法学、経済学のような他分野の知識を得る機会、それに国家公務員試験などの資格試験
のために勉強させるってことを意識したほうがいいんじゃないかと思う。

東京大学で学んでいる人たちがどういう人なのか全然わからないけど、
少なくとも技術バカや研究バカ、をやるのは、そういうことしかできない人に任せて、
学部のうちからより高度な社会的能力を得させるほうがいいと思う。

ごめんなさい。

こういう意見を恥ずかしげもなく言う人が日本には多すぎる。

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