ここ最近、真面目系クズという言葉が流行っている。
一見すると真面目なのに実は中身がクズな人のこと。自ら主体的にがんばったり努力することはないが、先生や親の言うことをきくので周りからの評判は良い。反抗しないのは楽な方へと流されれいるだけで、ルールを外れる勇気もない。周りに迷惑をかけないように真面目に生きてきたが、積極的に努力することは無い。最初の印象はよく、周囲から期待されるが、だんだんボロが出て人が離れていく。ひとことで言うと「エヴァのシンジの悪いところだけ集めた感じ」のクズ。
これと、今日読んだちきりんの対談
なぜ、夢を語れない企業は成長しないのか。日本とアメリカの大企業の決定的な違いとは?
藤野 それは、いい質問ですね! 私は日本とアメリカの大企業には重大な違いがあるのではないかと思っています。それは「真面目さ」という点です。私は、日本の大企業の多くには本当の意味での「真面目さ」がなくて、アメリカの大企業の多くにはそれがあるように思えるのです。
ちきりん 「アメリカの企業の方が真面目」というのは意外ですね。一般的には日本の方が「真面目」のイメージがありますが。
藤野 真面目の本来の意味は、「物事の本質に忠実であること」なんです。でも、日本社会における真面目な人っていうのは、「遅刻をしません」とか、「上司のいうことをよく聞きます」とか、形式的な意味の真面目さをいう傾向が強いように思えます。
真面目系クズという言葉が流行っているときにこの対談が来たのは時宜を得たもののように思う。ちょうどうまく附合する。日本社会における真面目な社員は有給休暇を取りませんって人だったりするし、残業を嫌がりませんとかで、反抗はしないけどルールを外れることもなく「有給休暇を取るということは他人に迷惑をかけているんだぞ」と言ったりする。ああなるほど。もしかすると真面目系クズというのはこうした労働環境への反省から無意識に注目されているのかも知れない。
ブラック企業とか社畜さんの言う「人に迷惑をかけてはいけないよね?」というのはたいていの場合はすり替えである。たとえば有給休暇を取るのは他人に迷惑をかけていることだから、社会人なら厳に慎むべきである的に相手の罪悪感を刺激して劣悪な労働環境を正当化する論法である。
ところで、ルールを外れる勇気がないことはいいことなのだろうか?ふと思い浮かぶのは何年か前のライブドアである。当時のホリエモンは色々、株式の時間外取引とか株の100分割とかをしてルール違反的なことを指摘された。しかし彼の手法は別に法に触れるわけでもなく、結局は粉飾決算とか風説の流布でしか彼を起訴できなかった。彼のような手法は法の抜け穴を探すみたいに悪く言われるけど、閉塞した環境を打破するにはこうした違法ではないけど人があまりやらないことを狙っていくことが大事になるのではないかな。
先日、ニート恵比寿会議をして色々話したのだけど、以前「ニートの海外就職日記」というブログを書いていた海外ニート氏は惜しくもブログを畳むことになってしまったけれど、彼のメッセージは意外と多くの人が受け取っていて普通ではないキャリアの構築の仕方を実践している人は徐々に増えているねって話をしたのが印象的である。最後に権威付けの引用をして締めくくろうか。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。
(中略)
Stay hungry, Stay foolish.
普通から外れる勇気、ブラック企業に隷属しない勇気、場合によっては住み慣れた環境を離れて海外で活路を見いだす勇気。勇気を持って行動して人生詰んだらどうしようとか考えないのが Stay hungry, Stay foolish なのかも知れない。
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