『インターネットの恵みで生きる(前編)』は久しぶりに面白い記事だった。同時に彼の才能のようなものと自分の才能を比較して嫌になった。というのは
プログラミングを始めて数カ月後くらいの時点で、サイトに貼った広告からの収入は月2万くらいにはなっていただろうか。
というところで、数ヶ月でアフィリエイトの収益が2万円になったというのは才能だと思う。おいらは月に多くて1,000円くらい。Webアプリを作っているわけじゃないんだけど。
似ているところ・似ていないところ
僕が会社や学校が嫌だった理由は、
- 毎日決まった時間に起きなければいけない。睡眠時間が足りない。通勤とか通学だるい。
- 毎日長時間、週に5日も肉体を拘束される。だるすぎる。家で寝てたい。
- 毎日長時間、他人と一緒にいなければならない。別に仲良くもない他人と挨拶したり話すのがだるい。
- というかそもそも仕事なんかしたくないしずっと寝転んで漫画とか読んでたい。なんで仕事とかしなくちゃいけないのだるい。
- とにかくだるい。
といった感じだった。
こうしたところは非常に共感できるのだけど、たぶん普通の人はこうなのではないのかな。なんだけど、それでは生きていけないから無理矢理自分を社会に適応させて自己暗示を掛けている。
「サイト作り」にしろ「せどり」にせよ僕が続けられたのは、
- 時間を自分の自由に使える
- 人と会わなくていい
という点を満たしていたからだと思う。特に「人と会わなくていい」のは重要だ。人と話したり挨拶したり質問したり交渉したり喧嘩したりするのが本当に嫌なのだ(たまにならいいんだけど)。
pha氏はかなりの人嫌いらしい。おいらはそこまで嫌いでもないが、あまり寂しいと感じることもない。周りの人が「寂しい」とかメールしてくるのは正直よくわからないもので、なんでそんなにかまってちゃんなの?一人で漫画を読むなりプログラムを書くなりしていれば時間なんていくらあっても足りないのに、とすら思う。
努力が足りないのか才能が足りないのかはわからないけど、おいらはインターネットの恵みでは生きていくのは難しそうだ。その代わり、彼ほど人嫌いでもないので人との出会いでなら生きていけるかも知れない。
人との出会いで生きる
前にも書いたかも知れないけど、おいらの今の仕事は研究室経由で降ってきた。当時は普通に就職する気があったし、できるだろうと思っていた。お金もそれほど足りないわけでもなく、そもそも来た仕事が単発の仕事なのでまったくお金のことは意識せずに仕事を引き受けた。単にそういう仕事がどんなものかやってみたかっただけで、報酬額がいくらかなんて全然興味もなかったし、たぶん聞かなかったと思う。
それから本来は卒業する頃合いにその仕事をくれた人がメールをくれた。最近どうしていますか?みたいな感じなので休学してニートになりましたと答えた。そこで仕事を貰うことになった。自分の事情を話して、せっかく休学しているのだから仕事で時間を奪われたくないという話をしたらよい条件を提案してくれた。ちょっとした気まぐれで引き受けた仕事がニート生活の支えになったわけだ。
とりあえず海外に行ってみようということでイェール大学にしばらく行ってみた。例によって日本人がおいらを見かけると声を掛けてくる生活協同組合的な付き合いはどうしてもあった。たぶん女の子がグループで行動する割には本音ではそれほど仲良くないのに近い。別に嫌いというほどでもないが、一人を除くと帰国後は会うことはなかった。
どちらかというと海外の人と仲良くなることが多かった。大半はアジアだけど、中にはトルコとかフランスの友達もできた。
仲のいいトルコの友達は別に大したことをしたわけではない。授業でプレゼンをやる際に先生が評価するポイントを事前に話していたのでそれをメモして少し肉付けしたものを自分のために作った(自分のではないけどこんな感じ)。そのメモを彼女にもコピーしてあげた。ただそれだけである。毎日遊んだとか、そういうわけではないのだけど、ちょっとした縁があとあと自分の人生に結構効いてくることってあるのだなという感じ。
フランスの友達は最初は台湾の友人と一緒にいてちょっと話をした。その後、なぜか毎日会うようになった。イェールでは普通はカレッジに住むが、どういうわけか彼女は近くのアパートに誰か知らないけど少し年配の女性と住んでいた。元々の知り合いなのか、ただのルームメイトなのかよくわからない。ただ、なんにせよ彼女はカレッジのキー(非接触式のカードキー)を持っていなかったため、カレッジに入るには誰かの助けが必要だった。と言っても頻繁に出入りがあるから、その隙に潜り込めばいいだけのことなのだが。
カレッジにはコモンルームがあってピアノとかビリヤード台とか卓球台とかテレビとか、まあ色々なものが置いてある。よくそこでビリヤードをして遊んでいた。食堂からアイスクリームを2人分取ってきて彼女にあげたりもした。コモンルームはエアコンがんがんに効いていて寒いのだが、よくそこで寝てしまう彼女に上着をかけたりしていた。そんだけなのだけど、お互いに帰国の時期が近づいた頃に感謝しているようなことを言われた。パリに帰ったら誰がジャケットを掛けてくれるのか、アイスクリームを持ってきてくれるのかとしんみりしながら呟いた。というわけで、頭なでなでしながら必ず会いに行くよと約束したのが運の尽きで、遠路はるばるパリまで行くハメになった。彼女はほんと何考えているかわからなくて、たぶんヨーロッパではこういうときは男はもっと積極的に抱き寄せてキスするとかして相手の気持ちを確認するんだろうけど、おいらには無理だなー。Facebookを見ても彼女は普通にリア充っぽくて、別においらだけが友達というわけでもないようだし。行ってみても放置されたりして何のために来たのかよくわからんこともある。彼女がマイペースな性格というのもあるのだけど。
台湾辺りも「あー、いくいく」って適当に言ったから行くハメになったし、つまり人と会って適当なことを言っていると、それが意外とと人生に効いてくるわけである。
まとめると、家でぬくぬくしていれば楽なんだけど、重い腰を上げて口約束をまともに履行して台湾に住んだりトルコに住んだりすると思いがけず人生の活路が開けたりするわけである。pha氏は人と会いたくないというのと同じく、おいらも一人でネットしていた方が気楽なのだけど、そこをぐっと我慢して「はろはろ」言っていると意外といいこともあるものである。
そうして色々な出会いをしているうちに次はニューヨークに住むことにほぼ決まりつつある。
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