茂木健一郎の教科書検定について

広告

茂木健一郎さん連続ツイート 『教科書検定(けて)』

茂木健一郎さん連続ツイート 『教科書検定(けて)』

教科書が薄いのは教科書検定のせいだろうか

昔は教科書はもっと厚かったと教師が言っていたのを覚えている。彼は教科書検定があり、文科省の役人のキャパがあるから検閲できるテキストの量に上限があるということを述べているが、そうだろうか?文科省の役人のキャパが原因だとすると、役人が減っているのか、役人の処理能力が落ちていることになる。でもそうなのだろうか。たぶん違う。おそらく教科書が薄いのは現場の要望だと思う。勉強が嫌いな子は教科書が厚いとやる気を無くすらしい。

日本は悪平等というか低い方に合わせるのが好きな国民性の国だ。学校に進度別クラスを設けようと提案しただけで「できない子がかわいそう」と言う。でも別に可哀想でも何でもないんだけどな。例えばサッカーが下手な子は勉強ができない子のように特別な配慮をされるかというと、あまりサッカーではそういうことは言われない。音楽とか美術の授業でもそうだ。音楽とか美術は芸大にでも入る人でもない限りはそれが不得手でも特に困ることはない。

台湾人と話していて「日本の大学進学率は40%くらいだろう?台湾はほぼ100%だ」と言われたことがある。え、それって日本はダメだって意味?「そうじゃない、台湾の大学はクソ大学が多いんだ。その点日本人は偉いよ、就職したり専門学校に通ったり自分の適性にあわせて進路を選んでいる」と言っていた。韓国も8割以上は大学に行くらしい。

そうすると日本の大学進学率はそんなに高くない。でもそれでいいんだと思う。大学で勉強したいわけでもない人が大学に入り、総合職として就職し、結果的に例えばソニーのWebサイトがクラッカーに荒らされ放題になる。専門学校で情報セキュリティを学んで、情報セキュリティの専門職をソニーが採用していればたぶんこんなひどいことにはならなかったんじゃないかな。

日本の教育は無個性な総合職を作るもので、そのために総合職になるための大学に入るための勉強を重視する。けど、サッカーが嫌いな子はサッカーが上手くならないように、そもそも嫌いなことを無理にやらせるのが間違っている。サッカーが下手なら体育の授業でちょっと笑われる程度で済むけど、勉強が苦手だとかなり深刻なことになる。それでも勉強が苦手な子はいるから、表向きは進度別授業などの区別をなくしている。結局、受験である程度別れるのだから意味のない努力なのだけど。

教科書が薄いのはそのとばっちりだと思う。勉強が嫌いな子でも許容できるぎりぎりの内容の薄さに教科書がチューニングされている。そのため、私立の進学校では検定教科書を使っていないところが多い。

茂木健一郎って日本LOVEだなー

けて(3)ぼくが文部科学大臣になったら、教科書検定は即時廃止する。日本がインターネット時代、グローバル時代に適応できない、その日本人の時代遅れの「マインドセット」をつくっている日本の教育。日本を繁栄させ、国益を図るマキャヴェリ的政策判断として、即時廃止する。

そもそも文部科学大臣になって教科書検定を廃止しようとしたらどうなるだろうか。まず野党が足を引っ張る。そのときに引っ張ってくるのは「できない子が可哀想」「過度なエリート競争で差別を助長」などのよく聞くアレである。当然マスコミも尻馬に乗って売国奴だとかなんだかんだ叩く。ネットでも同調意見が相次ぐ。

そんな国民の誰にも望まれていない政策を「国民のため」という信念の下に貫く意味はあるのだろうか?数少ない教科書が薄っぺらであることに不満を持っている人はさっさと進学校に進学してしまって、教科書検定なんて心底どーでもいい問題になっているため支持者はきっといないよ。充実した教育が必要な人は進学校に行くなり、家庭で教育するなり、塾に通うなりして独自に対策をしている。もっとも、貧しくなってくると塾や私立の進学校に行くことは困難になるかも知れない。

野党にもマスコミにも国民にもバッシングされながら、それでも国民のためにって頑張れるのは最近の政治家だと小泉純一郎くらいの力がないと難しい。

日本の教育制度の誤りは単に教科書検定云々ではなく、企業の採用活動にまで及んでくるためそう簡単には改革できない。学者にでもなるならともかく、そうでないのなら、企業からそっぽ向かれる大学教育なんか誰も望んでいないのだからね。その企業が破滅に向かってまっしぐらでも大学教育と企業のどちらを取るかと言ったら企業を取るのが大半だろう。

おいらは「文部科学大臣になったら」という仮定はしない。知り合いのホモもよく「僕が総理大臣になったら」というけど、彼らは日本が好きなのだろう。おいらはダメなものは一度行き詰まった方がいいと思っている。明治維新や敗戦のような改革のチャンスが来るまで待つしかない。改革されるまでの間、日本人は不幸だけど、そもそも日本って卒業年度が売り手市場か氷河期かで人生が決まる国なのだから、さほど理不尽でもない。

教科書の問題は大学でも

検定教科書の問題は小中高くらいだろうけど、個人的に関心のあるのは高等教育。アメリカの教科書はよくできていると常々聞く。

そういえば、アメリカはOpenCourseWareがあって高等教育の教材は意外と手に入る。しかもライセンスがクリエイティブ・コモンズなどであることが多く、ということはこれを日本向けに翻訳したりするのはちっとも問題ないと言うことになる。

あとCCライセンスは非商用(Noncommercial)がついていない限りは営利にも使える。非NCだからといって、教材を勝手に転売して儲けるのはよくないだろうけど、日本語に翻訳して編集してその部分の対価を得るくらいなら批難されることはないだろう。Linuxだって商用のディストリビューションはあるのだ。

海外の教材を翻訳して提供することは、日本で勉強する人にも役に立つし、自分の勉強にもなるし、これといって仕事のないニートでも生活の糧を得られるかも知れない社会的に意義のある事業だと思うのだけど、誰かやってみませんか?

広告