前から読んでいるけどなかなか面白い。17話にこんな件がある。
今回の国策捜査で痛感したのは戦後の日本社会が正しいエリート作りを怠ってきたことです。
@東大にて
憂木:日本ではエリートというと確かに嫌な響きがあります。しかし考えてもらいたい。国家を含むあらゆる共同体はエリート無しには成り立たないということを。
学生1:憂木先生、先生は外務省の専門職員ですよねえ。
憂木:うん、そうだよ。
学生1:先生のおっしゃるエリートとはたとえばいい大学を出て、外務省のキャリア職員になった人のことですか?
憂木:そういう意味じゃない。それは単なるブランドだ。
学生2:じゃあ、どういう人がエリートですか。
憂木:エリートとは、国や社会にに対して責任を背負っている人。そしてその意味を自覚して権力を行使する人のことだ。
学生3:つまり、リーダーのことですね。
学生1:日本にはいないんですか?
憂木:残念ながら少ないね。
学生1:どうしてですか。
憂木:理由は簡単だよ。ある時期から勉強をやめてしまうからだ。
学生4:勉強をやめる?なぜですか。
憂木:激務だからだよ。
学生2:じゃあ、しかたないんじゃ・・・
憂木:いやその激務を自分のためだと思うからいけない。こんな仕事をしてやってるんだからもっと評価してほしいとか。こんなに働いたんだからもっといいポストが欲しいとか。そうなると地動説で周りを冷静に見ていた人も、天動説・・・つまり、自己中心主義者に変わってしまう。
学生1:真のエリートになるためにはどうしたらいいのでしょうか?
憂木:新入外務省員の研修で僕はよくこう言うんだ。この研修を、自分のためにやっていると思わないでほしいってね。
学生4:自分のためじゃない?じゃあ、誰のためです。
憂木:国民のため、日本のためだよ。
@飲み屋にて
学生4:僕、憂木先生のいる外務省志望なんですけど、職場の雰囲気はどんな感じですか。
憂木:給料はいいし、和気あいあいとしているし、天国みたいなところだよ。
学生1:天国ですか。
学生2:じゃあ僕も狙おうかな。
憂木:ただし、それは表向きの話だ。入省から在外研修までは理想を持っていた外交官たちが十数年後にはどうだ?目の輝きは失せ、キャリア職員は過度に尊大に、専門職員は異常にイジけてくる。
学生1:どうしてそうなっちゃうんですか。
学生5:身分差別からですか?
憂木:外務省は能力主義だ。できる奴は評価されるから、ほかの省ほど差別はない。
学生5:え、じゃあ・・・
憂木:ある日、みんな自分に自信がなくなるからだよ。
学生1:あ、勉強をやめちゃうからですね。
憂木:そう。しかも本人はそれに気づいているが、認めたくない。そうなると○○大学出身とか○○省キャリアとか・・・ブランドをふりかざして生きていこうとする。
このあとも話は続いて、そちらも興味深いけど長くなりすぎるからこの辺で打ち切る。北方領土の話とか、つまり鈴木宗男寄りの外務相の話なのでロシア事情とかなかなか興味深いものがある。これが真実というわけではないだろうけど、興味深い描写はたくさんある。
日本はエリートとかリーダーシップの感覚が希薄
冒頭に「日本ではエリートというと確かに嫌な響きがあります」とあるようにあんまりエリートであることをひけらかすと日本では嫌な感じになる。この辺はアメリカとだいぶ違うなあと思う。そのくせにブランドは好きだ。
しかし「エリートとは、国や社会にに対して責任を背負っている人」とすると、おいらはエリートではないな。エリートであるはずもないのだが。どちらかというと、この国や社会はいちど行き詰まって根本から作り直す方が早いのではないかと思っている。おいらが守りたいのは日本人の幸せであって、国や社会の成功ではないのだから。それでも自分のしている苦労が自分のためではなく「国民のため、日本のためだよ」と言える人は格好いいね。ほとんどいないと思うけど。
最後に「そうなると○○大学出身とか○○省キャリアとか・・・ブランドをふりかざして生きていこうとする」こういう人にはなりたくないものだ。海外に行くとあまり日本の大学は名が通っていないからいいのだけど。あくまで「東京にある大学」としか言わないようにしているが、台湾やトルコでは結構知られている感じ。これは過去の人の実績が認められているのだからありがたいことなのだけど、自分はまだブランドを振りかざす側なので国外に行ったら出身校の権威は使わないようにしたい。
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