まずコメントのお返事をします。
POSTED BY ゴロマサ ON 2010年11月29日
>>いつからこうなったかのか知らないけど、染みついていますね。どうやって洗脳したかは関心があります。陰謀論的には広告代理店とかマスコミを使ってすり込むらしいけど。昔に中村修二さんがなんかの雑誌でいってましたけど(詳細は忘れかけてますが)、’’「日本の教育は企業や国のために、滅私奉公する人間をつくること」でそれに従えない人は自分(中村さん)みたく海外に出て行くか、気づかないふりをしなくちゃならない。”つうことようなことを言ってました。やっぱり教育システムも影響してるんじゃないのでしょうかね。固定化されて土台が崩れ、時代にマッチしていない価値観やシステムを疑って考えるような、物事を裏からも横から見るようなプロセスって支配層には都合悪いから教えないような気がします。小さい頃からの刷り込みもあるんじゃないかな…
自分は大学出て、4年位タイのローカル企業で働いて、日本に戻ってきて、日本の会社で鬱になって、今は地元の3セクでまったりと薄給で働きつつ、また海外就職を狙ってますが、日本の会社で働き、生きることって「幸せ」がないなって日々感じます。なんていうと「甘え」になるのかな、はは…。
初めて見ましたが素敵なブログですね、応援してます。
ありがとうございます、ぐだぐだ書いているだけですが気に入って頂けて幸いです。
中村修二氏は典型的な日本から追われた秀才という感じですね。今はカリフォルニア大学のどこか、サンタバーバラかなで教鞭を執っているそうですが、きっとアメリカの方がのびのび生きていけることでしょう。アメリカは優秀な人を大切にします。彼ほど優秀だと永住権もほぼ無条件で発行される(EB-1)はずなので、戻ってこないかも知れません。日本の一番嫌なところは閉塞感と、それに起因する人の不幸を願ったり、足を引っ張ったり、みんなで不幸になろうという負の連鎖、独りよがりな国粋主義者、社畜達。
タイで働いていたのですか、素敵な経歴ですね。ローカル企業と言うところもまたいいです。タイで手っ取り早く働く場合は日本のバックオフィスがいいらしいけど、そうすると日本的労働環境になってしまうのですよね。
幸福追求権はあってよいと思います。それを甘えという社畜が多いことはおそらく国を滅ぼします。こいつらは海外(中国とか韓国)脅威論を唱えたり政治のせいにしたり、何でもかんでも他人が悪いということで結論づけようとしますが、実は社畜の一人一人が日本の国際競争力を削いでいることに気づくべきです。
非モテSNSの人が起業について語っている
人に嫌われないポイントは人の批判をしないことらしい。でも、やはり色々思うところがあるので書いてみる。あちらははてブが1,000以上つく人気ブログなのに対してこっちは10付くことも稀なのでまあ許して下さい。
『起業して挫折を経て分かった、「好きを貫いて気分よく生きる」事の難しさ』というエントリがはてブにあり、いきなり出てくるビジネスマン風の人が見慣れない人だったので一瞬気づかなかったけど、非モテSNSの人のブログだった。
色々起業した経験に基づくノウハウがあり、普通ならこれは参考になると思うところだけど、どうも所々引っかかる。海外ニート氏の『「仕事=人生」以外の価値観は認めないw』で批判されている通り、前からこの人は社畜発言炸裂で好きになれなかった。たぶんおいらが嫌いなタイプなんだと思う。
社内ルールなんか後回しでいい
例えば最初の4ヶ月でやったことで「社内ルールなどを考えたりするのが非常に楽しかったです」とあるけど、なんで社内ルールなのかまったく意味が分からなかった。この人の会社がどのくらいの規模なのかとか全然知らないんだけど、いきなりルールが出てくるのが不思議で仕方がない。ルールって必要に応じて作るもので、最初にルールを決めようというのは順序が逆だと思う。
おいらはゲーム作りでプロジェクトをまとめたりしたことはあるのだけど、そのときの教訓はリーダーはビジョンを見せることが大切だということ。ゲームについて言うけど、普通の人はまず絵を描いたりイメージしやすいものに走りがち。だけど、これは失敗へまっしぐら。ある程度統率の取れた組織で、きっちり仕事をさせられる契約になっていればいいのだけど、同人ゲームなんて素人集団に過ぎない。そこで動作もしないゲームの妄想だけ膨らんで、絵とか音楽とか分かりやすい断片だけ山ほど転がっていても、最初は楽しいけどすぐに飽きてくる。給料分働けやごるぁと言ってコキ使えばいいのかも知れないけど、そこは同人、組織のマネジメントで乗り切るしかない。
結論を言うと、おいらのゲーム作りでもっとも大事なのはプログラムを書くことだった。そこに絵が「へのへのもへじ」であろうともきちんと動作してプレイ可能な状態で提示しておけば、自ずと「じゃあ俺は絵を描くよ」という人が現れたりして作業は進む。最初に絵とか目立つもので始めるのと、プログラムみたいな地味なものをやる違いはどこにあるかというと、ゴールが見えるかどうか。見た目はチープでもちゃんと動くゲームが目の前にあるという事実はモチベーション維持にはすごく効果的なんだ。
で、非モテSNSの人の話に戻るけど、社内ルールを作るのは何か仕事をしている気分になれて楽しいかも知れないけど、それ自体はお金を生み出すわけでもなくゴールに至る道を一緒に働く人に提示することができない。これでは上手く行かないだろうなあと思う。どうなるか見物である。
しかし、こうして形から入りたがる人は多い。高校を設立しようという話で真っ先に制服のデザインを考え始めた人を知っているけど、これはアホだと思う。具体的にどういう高校にしようかが先ではないのか。アニメの何とか学園みたいに実態がなくて外部(視聴者)から見られることしか意識しない学校なら制服デザインとか校舎の雰囲気とかも大事かも知れないけど。
会議
次に関連エントリで『日本社会で起業するため本当に必要だと感じた30のコト』というのがあった。そこでも色々あって税理士とか行政書士の使い方なんかはそれなりに知見が得られた。
気になったのはやはりルールで
社内のルール作りがすげー大事でした。
トイレとかは、座ってすることになっています。
人に嫌われないためには批判しないことというけど、正直バカじゃねーのと思った。社内ルールを決めると言うからよほど重要なことかと思ったらトイレの使い方って・・・DQN高校の校則のノリ。そのうち廊下は90度に曲がるとか言い出しそう。
あと会議について。
社内会議は、1番大事でした。
ここで、会社の動きってほぼ決まるんだなーと思いました。
会議が大事なのは認める。色々な人がいて調整したり合意を得たりすることは重要だ。しかし会議という形式にどうも拘っている節がある。なぜこの短い文章でそういう印象になったかはハッキリとは説明できないが、この人はまだ若いのに頭がすごく古いところが多々あるからだ。
ある企業では会議室の椅子を全廃して立って会議をすることにしたら平均2日(延べ16時間)かかっていた会議が3時間で終わるようになったという。もっとラディカルな会社では普段からオンラインで意見の調整をしていて、どうしても顔を見せて合意を形成する必要のある場合にのみ会議をする会社もある。会議の平均時間は5分だという。
繰り返すが会議の重要性は否定しない。ただ、会議をしていると仕事をしている気分になって無駄に時間を使うことが多いのだ。多くの人が部屋に集まって、ほとんどの人は一言も言葉を発しないで終わる。拘束時間も長く仕事を邪魔される。おそらく会議は今の会社の中でもっとも非効率なシステムの1つだと思う。もし、会議に効率性を求めるならきっとそのことを言及したと思うし、他のこの人の発言から推察するにかなり効率の悪い会議をしているのではないだろうか。
ついでに。ある人にそのことを話したら、日本の会議というのは根回しの一種らしい。会議で一言も発しない人は会議に呼ばなくていいかというと、あとで「俺は聞いていない」とごねるので座っているだけの人も会議に出席させなければならないという。ここに座らせておけば丸く収まるというのだ。
R出身の社長は多いと言うけど
Rは営業力でもっている会社なのでR出身の人は企業には有利なスキルを持っている傾向にあるらしい。で、このSNSの人もご多分に漏れずR出身だそうだが、どうも話を聞くと早くもブラック化の兆候が見られて、結局いくらベンチャーが出てもこういう感じだと日本の労働環境はよくはならないんだろうなあと思った。
日本の正社員や公務員の身分保障は異常
正社員でもブラックもあるわけだけど、ここはホワイトな職場だけをターゲットにする。「日航CA労組、クリスマスにスト方針 整理解雇撤回求め」という記事があった。それに対してTwitterで
社保や能開機構はじめ公務員の分限解雇や民間の解雇が堰を切ったかのように始まっている中、ストは当たり前の労働者の権利だ!断固支持!/CA労組、クリスマスにスト方針 整理解雇撤回求め http://t.asahi.com/s3u
とマルクス主義者だとプロフィールにある人がつぶやいていた。これはひどい。
ホワイトな職場ではいくつかの地雷(無断欠勤するとか、横領するとか)を踏まない限りは絶対に解雇されることがない身分保障が敷かれている。これらの地雷は普通にしている限りは踏むことはないので、正社員はまさに終身雇用と言える。
ところが、社員の中にはちっとも働かない人がときどきいる。サボっていたり、組合活動ばかりしていたり、タイプは様々だけどまったく働かない人がいる。この人たちに給料を払うことによって会社は給料+αぶんの損失があるように見える。しかし実際はもっと深刻だ。例えば10人いる部署があって、そこにダメ社員が配属されているとすると、その部署は外から見ると10人の部署だが実際は9人しか働いていない。その結果、仕事量に見合った労働力がないので仕事が忙しくなる。その部署の人からすれば、給料を払うことは合意できても、実質9人なのだからもう一人増やしてくれと言いたいであろう。
そいつがいることによって会社に利益が発生するどころか、いることによって損害を与えている人もいる。絶対に潰れないような安定経営の大企業ならダメ社員のいる部署に少し多めに人材を回せばいいかも知れないが、今回のJALのような倒産企業ではその余裕はない。人を絶対に解雇できないことで、他の社員は残業を強いられたり新卒者の採用が手控えられたりする。
つまり、今の就職難は強固な身分保障の弊害でもある。一度雇ってしまったら、よほどのことがないと解雇できないのでは、おいそれとは採用できない。結局、この手のデモは既得権益に固執する側と、既得権を持っていない者の闘争なのである。
JALの整理解雇は受け入れたところで直ちに日本の社会が変わるわけではないので、自分たちが損をして終わりなのだけど、労働法の改正をしてもう少し解雇を容易にしたらきっと人材の流動性が上がってやる気のある人は採用され、やる気のない人や組合活動だけに血道をあげる人は追い出されるというごく自然な労働形態に落ち着くと思う。その結果、日本の経済力は回復して税収も上がる。そしたら生活保護でも拡充させればいい。働く気がないなら生活保護でも貰って、働く気のある人が働いた方がいい。
あと公務員の分限免職は滅多に起きないそうだ。
アンチ《醜活》デモの人は頭の悪い人が多すぎる
『「就活デモ」があるなら、「俺の店で食えデモ」があってもいい』というエントリが香ばしい。
しかし「就活デモ」や、解雇に反対する労働組合系のデモなどの場合、自分が採用されなかったり、解雇されたりすることの原因を、自分ではなく企業や政府のせいにしている。つまり、この種のデモをやる人は、自分たちが労働力を売る立場、商売人の立場にあるという自覚がまるでなく、自分が仕事や給料を得られることを当然の「権利」だと考えているのだろう。
『自分が仕事や給料を得られることを当然の「権利」だと考えている』という論理飛躍がどうしてできるのか不思議でならない。よほど頭が悪いのか、読解能力がないのだろう。まあ、デモの参加者にはネクタイが嫌だとか言っていて、どっちの味方かわからない人もいるのは確かだけど。デモを潰したい人は、デモ肯定派を装って「《醜活》デモ=ガキの我が儘」という構図を作り出すといいかもね。面と向かって「お前ら甘えるな」と言っても「社畜乙」になってしまうから内部から蝕むのがいいよ。
というわけでデモの立場には参加者の間でもいろいろと齟齬はあるけど、おいらはシステムの不備について文句を言っているのであって、仕事を寄越せとか、給料欲しいと言っているのではない。少々歪んだ形かも知れないけど、これはおいらなりの愛国心でもある。このシステムをほっといたら、学生はもっと忙殺されるし、企業も異常なほど多くの学生(しかも適性も興味もないけど数増やし目的)がエントリーしてきて採用活動にかかるコストが増える。そうするとRとか《醜活》業者が儲かる。企業も学生も不幸になって一部の業者だけが儲かる。企業は適性を無視してエントリーした社員が増え業績は下がり、国内には何とも言えない閉塞感が満ちて、やがては国力が衰退する。だから、おいらは合法的リフォーム詐欺と呼んでいる。回りに不幸をばらまいて利益を得ている連中がいる。これを止めたいだけ。仕事が決まるかどうかは本人次第だ。採用が適正化すれば企業業績が上がるからNNT学生は減るだろうけど、ゼロにはならない。
けど、最近はほとほとあきれ果てて、みんなで海外に行こうぜって方にシフトしている。税収が下がっているのに社会保障費は上がるし生活保護は増えるし借金が国と地方で1,700兆円もあるし、政府も企業も社畜も経済力を高めようなんて気概はないし、そのうちハイパー円安になるか、IMFの管理下に置かれる。もし戻りたいならそのころ外貨建ての資産をたくさん持って帰国すればいい。資産を持っていて海外でまともなキャリアを構築してきた人は日本に戻ってもつぶしは利くだろう。
他の人も言っているけど《醜活》くたばれデモは「仕事よこせデモ」ではないんだ。まあ、仕事よこせデモもいいと思うけどね。仕事を供給するのは社会の役割でそれを果たしていないのだから。
あと「就活」と就職活動は分けて考えるべき。こないだガイアの夜明けを見ていたら「○○さんは就職を諦めました、○ヶ月後、○○さんの仕事は・・・ボラバイトでした」っておかしいと思わない?ボラバイトが仕事かどうかは議論しないけど、就職を諦めた人が仕事あるっておかしいでしょう。つまりこの文脈では企業に雇われたり公務員になることを「就職」と呼んでいるわけ。でも違うでしょう。仕事に就くための活動が就職活動。だから起業でも何でも仕事を見つけることが就職活動。世間で言うみんなでリクスー着て同じようなことをする行事は「就活」と呼ぶべき。紛らわしいのでおいらは《醜活》と書いている。
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