参加したりはできなかったけど、意義のあるデモだったと思います。J-CASTにも「『就活くたばれデモ』東京でも開催 2ちゃんとグーグルが学生をつないだ」という記事が載りました。他にもいくつかのメディアが取材してくれたようです。
就活 != 就職活動?
ばいおが就活を「醜活」と書いているけど、これはいい言葉かも知れません。就活くたばれというと記事にもあるように
それにしても、なぜ「就活くたばれデモ」なのか。言葉の響きからすると、就職活動そのものを否定しているようにも聞こえるが、そういう意図ではないという。企画の中心となった都内私立大学の2年生は
「現在の就職活動のあり方を世に問いたいと考えた。今は1年生から内定者と話をしたりして就活を始める人も出ているが、このまま早期化していく流れが強まると、もう大学ではないのではないかという意識があった」
と話す。また、大学院に行くか就職するかで悩んでいるという早稲田大学の3年生は
「大学生の多くは今の就活のあり方がおかしいと思っているのに、そういう不満を声に出すことができていない。こういうデモによって不満を可視化し、それをきっかけに就職情報会社や企業も含めて議論していければいい」
と語った。
就職活動を否定している、ひいてはニートの詭弁であるかのような解釈をされがちで、そこのところに釘を刺してくれたのはよかったと思います。twitterとかでも「甘えるな」みたいなのが多かったなあと思っています。海外ニート氏のところでもよく指摘されますが、社畜がよく「甘え」とか「社会人(なら当然/失格)」とかいう言葉を好んで使うようですが、そうしたラベリング対策が重要ですね。
できれば就活と就職活動(職に就くための活動)を分離して欲しいし、でもそれは難しいとしたら新しい言葉が必要かも知れません。別においらは働きたくないでござるって言っているわけでもないし、デモ参加者もそうでしょう。
「就活」を放棄するということ
リクルートスーツという言葉は正確な調査はしていませんが、今から20年ほど前、1990年頃にはなかったそうです。その世代に就職した人の話を聞けばわかります。エントリーシートもそうだし「就活」という略語もありませんでした。採用の指針も大きく変わってきました。一説によるとバブル期に名門大学の学生というだけで大量採用した社員をもてあまして、それからは学力以外の何か「人間力」とでも言うのか、そういう曖昧なものを重視する採用に切り替わったと言います。少なくともWeb試験程度しか学力審査をしない企業も多数あります。その曖昧なものの評価をやっている専門の会社があります(某R社の関連会社にもあります)。
こういった制度がクソだと思うなら「就活」しなければいいというのは一見するともっともなのですが、多くの企業では「就活」システムを採用しています。したがって「就活」を蹴るということは、ほとんどの優良企業に入ることを拒否することとほぼイコールです。優良企業は労働環境、業務内容、給料や社会保障・福利厚生などに優れます。あまりに過酷な残業とか、残業代を払わないとか、そういったこともなく、人並みに勤めれば30代で年収が1,000万円を越えたりするところもちらほらあります。ワープアゆえに結婚できない人とは大違いですね。仕事だからそれなりに大変ではあると思うけど、ものすごい苦行をしなくても、人並み以上に豊かな生活ができるコースでもあります。たぶん仕事だって楽しいこともたくさんできるでしょう。これを放棄するというのはかなり勇気が要ります。
おいらの思うところの就活くたばれとは、優良企業に入ることと、R方式に従えということを分離して欲しいと言うことです。バブル崩壊後の苦しかったときに作り上げた「就活」というシステムを作り直して欲しいのです。
おいらはもう「就活」はしないと思う
おいらは仕事に就く情熱はまだ失っていないけど、もう「就活」はしないつもりです。単に生きていくだけなら生活保護の詐取みたいなのもできるとは思いますが、それもするつもりはありません。
色々アイディアはあるけど、有力なものは海外に逃げることというのは前から何度も書いた通りです。どっかのブロガーの方のたとえを借りると、行列のできているラーメン屋の行列が嫌なら他の店に行けばいいのです。でも多くの人の場合は、そのラーメン屋に行かないという選択は食事をしないという選択とほぼ等しく、つまり飢えて死ねということになります。そこに他の店に行くという選択肢を見つけられたのは僥倖でした。
留学で得られた最大のものは友人
もともと英語で日本語とほぼ同じレベルで喋れるようになろうと思って、アメリカの名門大学に留学をしました。結果、英語力は上がったと思いますが、最大の成果は英語力ではなく、世界中から来たたくさんの友人でした。名門大学に行ったため、来ている人はだいたい世界中の名門大学の学生だったこともあり、とてもアグレッシブです。
多くの国において、人々がそんなに閉塞感を抱えて生活しているのではないことに気づいたのは大きいことです。日本のような嫌な、何というか社畜って括ってしまっていいのかわからないけど、そうした建設的ではない、人の足を引っ張ってみんなで一緒に不幸になろう的なものがあまり感じられなかったのです。
また、アグレッシブであるため彼らはアメリカの大学院に進学して学位を取ることを本気で考えています。こうした話を多く聞けるのも非常に役に立ちました。日本からでも留学する人はいるけど、他の国の海外脱出率の高さは想像以上です。それまで海外でなんてとても生きていけないと思っていたのが、それが現実的に可能であることに気づきました。
というわけで「就活」を蹴ることが人並み以上の生活をする権利を放棄することと「ぼほ」イコールだと述べましたが、完全にイコールではないと思うポイントのいくつかは海外にありそうです。楽ではないと思うけど、起業を成功させるよりはハードルは低そうです。自分自身、これからどうなるかはわかりませんが、今まで勉強してきて身につけたものを何とか社会に還元したいとは思っています。でも、その社会は日本ではないかも知れません。
でも、これだけ国費を使って教育した人が他の国の経済に貢献する状況ってもったいないと思います。これでは多くの途上国と同じで経済が伸びないパターンです。大抵の途上国のトップ層は国外に出て行って、そのうちのかなりの割合は戻ってきません。日本は今までは定着率が高く、それゆえ科学技術立国として成功したと思うけど、これからはどうかな。やはり「就活」にはくたばっていただいて、日本の人材活用を正常化して欲しいところです。
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