ニートのにっき

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ここ1ヶ月ほど激動の日々でした。なんでニートなのに忙しいんだろう。

霞が関インターン

国際会議とか連れて行ってもらったり、かなりよく面倒を見ていただいたと思う。ところで、海外ニート氏のところで「自分、もしくは家族の健康にも優先する仕事なんてこの世に一つもない」とあって、妻とか子供が病気のときに夫が休むなんてとんでもないという発言が多いことに海外ニート氏はあきれ返っていた。ところが、官庁インターンで朝に待ち合わせの場所に行ったら別の人が待っていて「○○さんはお子さんが熱を出したので今日はお休みです」と告げられたのを思い出した。やはり公務員は甘いのかな。休むのが有り得ないとか言っている方が冷血鬼だと思うけど。

終盤になって熱が出てきたけれど、なんとか全日程を終了。

10月17日、18日

風邪を引いたのでひたすら寝る土日。日曜日は高度情報処理技術者試験があったので、問題を読んだりしたけど頭が働かない。

10月19日、20日

アルバイトの原稿を作ったりして終わる。熱が37.8度だとだいぶ楽だなあと思うくらいだから、結構深刻。つだーる様が同時期に風邪を引いて、インフルではなかったというから、おいらもインフルではないんだろう、たぶん。

10月21日、22日

大慌てで旅行の荷造りや買い物を済ませる。22日の朝に成田空港からパリへ飛ぶ。つい先日までインターン、風邪、バイトをしていたのに、気づいたら飛行機の中。商社マン並のフットワークの軽さだなとニートながらに思ったり。

シャルルドゴール空港でイスタンブール行きに乗り換える。よく考えたらシャルルドゴール空港も8回目なんだよなって考えると1年半前まで海外に出たことがなかったのにずいぶん頑張ったものだと思う。空港の中もだいぶ見慣れて迷うことが減った。

22日の深夜、日付が変わる直前くらいにイスタンブールに到着。友達と従兄弟が空港に迎えに来てくれた。

10月22日〜27日

10月26日が友達の誕生日だったから、そのお祝いがメインのイベント。しかし26日は月曜日で大学があるため24日がバースデーパーティ。

空港から友達の家に案内され、今回のイスタンブール滞在ではずっと友達の家で世話になった。宿代と食費が浮いて助かったー。

朝起きると23日。飛行機疲れもあってぐだぐだ過ごす。友達は学校があるため、友達のその友達とTaksimという繁華街やガラタ塔で時間を潰す。その友達はイランの人。大学卒業後はロサンゼルスの大学院に進学して永住したいとのこと。イスタンブールは嫌いなの?って聞くと好きだって。でもロサンゼルスはもっと好きだそうだ。こうして世界中で頭脳流出が起こっている、日本以外では。

ブログ「SN1986A」で「ポスドクに対する誤解」というエントリがある。色々言いたいことはあるけれど、高学歴(学校名ではなく)が自分の権利を守るには海外流出という脅しが必要なのではないかと思う。放置しても何もできないとなめられているのはよくないと思う。国費(税金)をたくさん使って教育した人材が自国の産業に貢献しないのが現状(±0)。頭脳流出(ー1)すると他国の発展に貢献(+1)することになる(自国が減り他国が増える、計2の損失)。それを売国奴と罵る人もいるようだけどね。

友達のご両親とも以前会っているからいい感じ。ご両親は英語ができないのでトルコ語で話す。おいらはトルコ語ができないけど、少しずつ語彙が増えてきたかな。話せるってレベルでもないけど。周り中トルコ語で喋っているところにちょこんと座っていたりして、かなり場違い感が出ているけど、楽しく過ごすことができた。友達は英語ができるけど、ほとんどのトルコ人は英語できないから会話が通じないんだね。でも、みなさんとてもよい人。

トルコ人はかなり繋がりが密なので、既に近所の親戚とかにいたるまで顔が売れてしまっています。えらいこっちゃー

パーティはかなり賑やかでフランスの誕生日とはずいぶん違う。踊りも盆踊りに似ているような気がする。途中で派手な音楽と共にエロエロなお姉さん登場。ベリーダンスなんだけど、主に男にすり寄ってお金をむしっていく。恐るべし。おいら英語もトルコ語もできませーんって言って何とか撃退。

パーティが終わると、やっぱりグダグダに過ごして、気づいたら27日。空港に早く着き過ぎたので、空港からバスで市街地に戻ってみる。今まで友達が送迎してくれたからよくわからなかった。ハワシュというバスは便利で、程々リーズナブルで短時間でTaksimまで着く。帰りは鉄道を使ったのだけど、こっちは不便で間に合わないんじゃないかとヒヤヒヤ。

なんとか飛行機に飛び込んでパリへ。

つづきます。

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