「会社は株主のもの」は誤った考え、私になじまない=与謝野財務相
[東京 24日 ロイター] 与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は24日午前の衆院財務金融委員会で、企業業績の悪化によって労働者の雇用環境が悪化しているにもかかわらず、企業が配当維持など株主を優先しているとの指摘に対し、「一時期、会社は株主のものという誤った考えが広まった。会社は株主のものという考え方は私にはなじまない」と語った。同相は「会社のステークホルダー(利害関係者)は株主だけでなく、従業員、経営者、お得意さま、下請けなど。株主はステークホルダーのうちの1人だ」と述べた。佐々木憲昭委員(共産)の質問に答えた。
財務大臣はアホの見本市か
なじまないってのは個人的意見としていいと思うんだけど「誤った考え」って言い切っちゃうのは本当に恐れを知らないと思う。ポールソン元財務長官ほど働けと高望みはしないけれど、酔っぱらい会見をするとか、言わなくてもいいことを言って無知を露呈するとかひどすぎる。まだ寝ている方がいい。こういうアホは無知にも関わらず自分は優秀という変なプライドを持っているから、その辺の顔だけで専門知識がないと自他共に認めるアイドルを置いておくのでもいいかもしれない。美形なら対外的なシンボルとしては、このオッサンよりはよい働きをするだろうし、馬鹿なことをしない分人畜無害である。
ブラック企業は保護されるべきではない
前後の文脈を読まずに書いて申し訳ないけど、このアホはおそらく労働環境の悪化があって、リップサービスとして調子のいいことを言ってみたんだと思う。確かに現在のブラック企業全盛はひどいと思う。まずここのところは是正されるべきだろう。
ただね、株主を重視することと従業員を軽視することはストレートにはつながらないんだ。一部のグリーンメーラーみたいな株主は短期志向だから多額の配当を要求してサヨナラするようなケースもあるけれど、一般的に株主は長期保有をするものと期待されている。だから、ギャンブラーでもない普通の人ならばブラック企業の株主なんかにはなりたくないものだ。「私はSFCGの株主なんですよ」なんて恥ずかしくて言えるものじゃない。そんな存在しない方がいい企業に私財を投入している(応援している)なんて恥さらしもいいところだと思う。結局、こういうところは短期的な「上がった、下がった」で遊ばれるだけの会社でしかない。
では、投資家はどういう会社の株主になりたいかというと、優良企業の株主であることを望むのが普通だ。自分がその会社の株を持っていることを誇りに思えるような会社でなくてはならない。人の寿命はせいぜい100年くらいだけれど、ヨーロッパの街並みのように何百年も前から残っている綺麗なものを大切にしようという発想があるのなら、一時的に利益を上げて儲かったとか言っている会社を支持するもんじゃないと思う。少なくとも法律はそうした理想論に則ってできている。だから、立法府や行政府の人間があまり馬鹿なことを言うものじゃない。現代の会社はほぼ全てゴーイングコンサーンである。
会社が永続するという前提の場合は、あまり非人道的なことをしにくいものだ。なんだかんだ言って人は企業のやった悪事はいつまでも覚えている。市場原理主義の本拠地のアメリカでも、企業を監視する団体が結構あって、いくつもの項目で企業の社会的責任を果たしているかをチェックしている。不適合ならかなり過激は不買運動を展開したりする。中にはWebサーバをクラックしたり、ここまで来ると犯罪だと思うのだけど、過激に企業を叩く団体もある。
例えば日本のトヨタの組み立て工は時給1,200円くらいらしいが、アメリカのトヨタだと時給24ドルだそうだ。ビッグスリーが潰れるとか言っているけれど、あれも従業員の年金などの負担が重すぎることに起因する。ビッグスリーの従業員は日本の自動車メーカーより一般的にはよい待遇(総合的には3割り増しくらい)で働いているとされる。
アメリカ的な市場原理主義を導入したから悪いとかよく言われるのだけど、本拠地アメリカは日本に比べるとよほど温情がある。今の日本は、かつての{日本のいいところ,日本の悪いところ}のペアだった。最近日本のいいところを切り捨てて、アメリカの悪いところを導入したと言える。結果的に{アメリカの悪いところ,日本の悪いところ}の会社がたくさんできてしまった。例えばホワイトカラーエグゼンプションだって、日本の場合は単なるサビ残合法化に過ぎないわけだ。
そのようなわけで、少なくとも理念の上では株主は社員を搾り取って短期的な利益を欲する存在ではないとされている。従業員をボロぞうきんのように扱う会社が長期にわたって繁栄するはずがないからね。では、何がいけないのだろうか?
日本に欧米式の経営が根付かなかったのに表面的に制度を真似た
日本の会社は買収されることを嫌う。これはすごく変な習慣だと思う。
個人の場合「君はいま年収500万円で働いているが、我が社は君の実績を高く評価していて年収5,000万円で迎えたい」と言われたとしたら、普通は喜ぶと思う。もちろん色々な事情があるのでOKするとは限らないけど、自分に対して高い評価をする企業があることは嬉しいと感じるはずだ。そもそも就職活動で内定を欲するのはお金を出してまで自分を採用したいという企業を求めているのではないだろうか。「採用はしてもいいけど、ぶっちゃけ給料払うほどの人材じゃないでしょ。ただ働きならさせてやるよ」という内定なら誰も行きたがらないはず。え、自己成長(笑)
というわけで、ある会社が他の会社から買収されそうになると言うことは名誉なことだと考えるべきだ。巨額の資金を投じるほどの魅力を感じてくれたと言うことだ。応じるかどうかは別だけれど。
よく買収されると元の従業員は奴隷みたいな扱いになるようなネガキャンを展開する人がいるけど、そんなことするはずがないだろう。特にアメリカでは人材は流動的で、人が財産という考えが結構根強くある。日本みたいに「滅多なことでは社員は出て行かない、出て行くのはダメ社員が中心で、いい人材は残る」なんてことはない。多額の資金を投じて買収した会社をむざむざダメにするはずがない。
それなのに買収されそうになると「乗っ取られる」という言い方をして慌てふためく。就活で内定を貰って「乗っ取られる」と慌てる人がいるだろうか(社畜はプライベートな時間や、本来得るはずの給料の他に、頭の中まで汚染されていて、乗っ取りと言えなくもないか)。乗っ取られるのが嫌だから典型的には株の持ち合いみたいなことをして、流動株の割合を少なくして(東証)一部上場という肩書きを維持しつつ、買収されない安心感が得られる。
このような方法をあちこちの企業で採ると、株は「株主権を行使する権利」としての本質を失う。だって、固定大株主がいて株主総会は茶番になっている。「取締役報酬の月額が2億円以内となりました(PDF注意)」なんて馬鹿げた議案があっさり通ってしまう。
株主権を行使する権利としての本質を失った日本株はどうなるかというと、単に値上がりした、値下がりしたで遊ぶだけのマネーゲームのツールに成り下がる。
ところで、PBRという指標があり、PBRが1倍を割り込んでいると言うことは、会社を清算して株主に配れば儲かることを意味する。だから、まともに株主権を行使できる状況でPBR1倍を下回るところで放置する経営者はアホである。そんな状況を放置すれば悪質な買収ファンドにすぐに目を付けられる。しかし日本の場合は買収の心配はないので株価はいくら低くても経営権を奪われる心配はない。たまにホリエモンみたいなのが出ると大騒ぎになるが。
最近の改革でも日本企業の体質は変わらなかった
最近の改革で派遣社員を増やしたり、労働組合を弾圧したり、色々変わったようだけど、株式持ち合いなどの風習は何も変わらなかった。従業員持株会みたいなものを作っても、株主総会で影響力を持つことはないし、一般株主はマネーゲームで儲かった、損をしたという以上には株に関心を持たないのも当然である。このことが日本企業のブラック化に拍車をかけたと思う。
前述のように、経営陣のイエスマンではない株主が一定数存在して、株主が正常な羞恥心を持っていれば、こんなブラック企業全盛の状況を放置しないと思う。
イエスマンといえば、ライブドアのニッポン放送買収騒動で、多くの会社は市場価格より安いにも関わらずフジテレビに株を差し出してしまった。会社の損失よりも、フジテレビに恩を売ることを優先した形だ。しかし吸血鬼で有名なトヨタはそうしなかった。ここは評価されていいと思う。多くの会社は持ちつ持たれつなので、市場原理よりも同盟によって動く。しかしトヨタはまともに市場原理に則って動いた。ということは、トヨタは株主として「正常」に機能することが期待され、安くフジテレビに株を差し出した会社は、よほどの事情でもない限りイエスマンでしかない。
株主というのは企業が倒産したときに持っている財産が紙くずと化すリスクを負っている。「金だけ出して口出しするな」なんて都合のいいことを大の大人が平気で言うのが日本のなんちゃって資本主義である。株主は名実共に会社の所有者であり、であるからこそ馬鹿な経営者が馬鹿なことをするようならば解雇してまともな経営者を送り込むなどの企業統治がなされる。馬鹿を放置したら自分の財産が危ないからね。
しかし、件のアホ大臣は株主が会社の所有者というのを「誤り」と言い切った。こうした地位のある人が非見識であることによって、クソ経営者がのびのびと搾取することが可能になるのであり、リップサービスをしたつもりかも知れないけれど、実際には労働者にとって利敵行為そのものであると考える。
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