最近何かと「自己責任」と使う人が増えている。
そもそも「自己責任」という言葉は、自分が悪いにも関わらず他人に責任を転嫁する人を諫める言葉であるが、最近の使われ方では逆に責任転嫁をするために用いているケースが多いように見える。
極端な例を挙げよう。街を歩いていたら車にはねられたとする。このとき、普通のケースならば自動車を運転していた人が取り締まりの対象になる。ここで「おまえ(事故に遭った人)が気をつけないのが悪い」だとか「そもそも家に籠もっていれば事故に遭わなかった」などといちゃもんをつけて責任転嫁がなされたとしよう。このようなときによく「自己責任」が使われる。いわく「歩行者側の自己責任」というわけだ。
この論法をもし認めてしまうと、犯罪者が正当化されてしまう。殺人犯については被害者を自己責任という人は少ないだろう。しかし、オレオレ詐欺では騙された方の自己責任だと言う人も少数ながらいるようである。言うのは勝手だけど、オレオレ詐欺は足がつけば逮捕されて刑事訴追されることになるわけで、自己責任論はちょっと苦しい。さらに微妙なものが企業や政府などパワーエリートによるトラブルである。政府が悪政をしたところで「そんな政治家を選んだおまえらの自己責任」という言葉で逃げることが可能である。
自己責任とは「空気読め」のように先に使った方に何となく正当性があり、言われた側に非があるのように聞こえてしまう不思議な言葉である。これは最近では派遣切り、格差社会、過労死などの問題でよく使われるのだが、労働者が「自己責任」と言われると、その労働者が就職で待遇のいい会社に入らなかったのが悪いだとか、大学で真面目に勉強しないのが悪いだとか、そもそも理学部なんか選ぶから悪いだとか、まあそんなへりくつをこねる人がいるんですよ。それも2ちゃんねらとかが言っているんじゃなくて、どっかの奴隷商人とかね。
私は過労死したり、精神が壊れるほど働かせる会社に非があると考える立場なので、経営側、あるいは会社に飼われている社畜が自己責任というマジックワードを使って責任転嫁しているのは非常に不愉快である。
そもそも論
責任というのは自分で負うのが原則だから「自己」責任というのは「馬から落馬」のようにちょっとおかしい日本語に聞こえる。ではなぜ「自己」を付けるのだろうか?
日本語わかってねーとか、英語のat your own riskの訳語だとか、色々考えたのだけれど、やはり「自己」と付けることで本来責任のない人に責任を押しつける効果が高いから重用されているのではないかという結論に至った。本当に責任のある人あったら「自己」なんか付ける必要はないもんね。
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