甘え

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前々からおかしいと思っていたんだけど、最近「甘え」って言葉が流行っている。例えば派遣切りの話題で「結局甘えてるだけじゃねぇの。 好きだ嫌いだ言ってられる状況じゃないんだ、と自己分析できないから、使い捨てのような業務形態でしか働けないんだよ」とどっかに書いてあった。

甘えとは

辞書によると

① 物をねだったりかわいがってもらおうとして,ことさらになれなれしく振る舞う。甘ったれる。
「親に—・える」
② 人の好意・親切を遠慮なく受け入れる。また,好意・親切をあてにして,気ままに振る舞う。
「お言葉に—・えてお世話になります」
③ 甘い香りがする。
「いと—・えたる薫(た) き物の香/源氏常夏 」
④ 恥ずかしく思う。てれる。
「いとはしたなくいひののしりければ,—・えて出にけり/栄花浦々の別 」

とあるが、該当しそうなのは1だけである。

さて、この場合のねだる対象はどこだろうか。どっかの好条件で雇ってくれる企業か、それとも政府か。そして、政府にしても企業にしても、派遣切りに遭った人は「ことさらになれなれしく振る舞」っているのだろうか。

何を言いたいかというと、馬鹿の一つ覚えみたいに派遣に対して「甘え」というけど、これは日本語の用法がおかしいんじゃないか。というと、言葉は変わっていくものであるからして云々と必ず言い出す人がいるんだけど、論点をずらしたくないのでおいておく。

甘えという言葉は普通は子供が親に対して使うもので、つまり半人前とか未熟であるということを内包していると思う。それを派遣とか社会的弱者に使うことで、ネガティブキャンペーンを張り、自分自身が至らないからこういう身分なのだと責任をなすりつけているような気がする。

スマトラ島沖地震

2004年にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋でマグニチュード9.3の地震が発生した。これによって東南アジア広域が津波に襲われて大変なことになったのは記憶に新しい。

さて、このとき津波の被害にあった人は「甘え」であっただろうか?

もし津波に襲われた人に責任があったとすれば、ちょうど地震が発生したときに海の近くにいたのが悪いと言うことになる。津波はしばしば起こっていることで、海なんかに近づくのが悪いと言えなくもないが、ちょっと強引ではないか。

この津波の被害を大きくしたのは、インド洋の各国には津波早期警報システムがなかったことが挙げられる。被害にあった国には地震発生から2時間以上経って津波が到着した地域もあり、つまり十分に津波を回避することは可能だった。聞くところによると、日本は津波の危険性を把握して連絡を行ったが、津波被災経験が乏しいインドネシアではその重大性に気づかず放置したとされる。

つまり、津波の被害を大きくしたのは連絡の不備という公共サービスの不備によるものである。これをビーチにいたおまえが悪いなどと言ったとしたら、政府などの責任を一般市民に転嫁したことになる。だから、インド洋の大津波では誰もそんな馬鹿げた主張はしない。

責任転嫁した側が責任転嫁するなと言うこと

現在の世界同時不況は津波のようなものだと思う。とても一個人で回避したり未然に防いだりできるような生やさしいものではなく、非常に大きな力が働いている。現在「甘えている」と罵られている個人は企業の幹部でもなければ、政府の要人でもなく、つまりこうした問題にタッチできるような立場にいない弱い人たちである。つまり、彼らの解雇は彼らには責任はない。

というと、すぐに極端な話を持ち出す人がいる。例えば学生時代に真面目に勉強して弁護士資格でも取っておけば職にあぶれることがなかったとか、そういうものである。派遣で働いていると言うことは、かつてそうした努力を怠ってきたもので、だから自己責任であるというもの。

国に寄生して生きている人はおそらく最後まで生活は保障されるだろうし、そうしたところに目を付けるのは(ずる)賢い点で評価されるかも知れない。しかし、多くの人は国家権力で生活が保障されているわけでもなく、相対的に不安定な立場の中で運がよかった人が、運の悪かった人を叩いている。つまり、いつも言うように社畜的な弱者同士で足の引っ張り合いをしている。タイは政府に対して(スマートではなかったけれど)団結して空港を制圧するという抗議行動に出た。しかし、日本は政府とか企業幹部とかに対しては従順で、本来協力すべき弱者同士で罵り合っている。

政府は津波のような経済危機の時に、いち早く対策をして弱い個人を守ることが求められている。それを十分にしないで、社畜が犠牲者に責任を転嫁している。おまえらが無能なのを責任転嫁するなと。

「空気読め」は言ったもの勝ち

ところで「空気読め」という言葉があるが、これは「大多数は自分の意見に賛同しており、したがっておまえが間違っている」という主張である。しかし、本当にそうかは何の証明もしていない。意見の行き違いがあるときに、先に「空気読めよ」と言ってしまうと、言われた側が間違っているような雰囲気が形成されてしまう。

甘えもこれと同じ構図で、事実がどうであれ「甘えるな」と言われてしまうと、そいつが悪いのに社会や企業、政府に責任を転嫁して保護を求めているかのような雰囲気ができてしまう。しかし、それが本当に正しいのかは検証されていない。

上述のように、このような世界的な不況の下では、一個人にどれだけ責任があったというのだろうか。また、様々な理由で十分なキャリアを積めなかった人も多いであろう。それすらも全て個人の責任だというのが現在の「甘え」という奇妙な用法に隠された責任転嫁である。